今回ご紹介するのは、大阪・心斎橋にクリニックを構えるタスクデンタルクリニックの吉次 良師(よしつぐ りょうじ)先生です。吉次先生の専門分野は予防歯科、咬合(こうごう)、インプラント。しかし、先生が歩んでこられた道のりは、特定の分野にとどまらない、まさに「オールマイティー」という言葉がふさわしい、異例なキャリアと言えます。
先生は大学をご卒業後、23年間という長きにわたり、大規模な医療法人で勤務されました。その間、医局長、副院長、役員、院長、理事長を歴任され、数多くの患者さんを診察する傍ら、何十人もの歯科医師やスタッフの教育・指導に尽力されてきました。この比類なき経験が、先生の圧倒的な臨床力と、医療人・社会人としての確固たる哲学を築き上げています。
タスクデンタルクリニックの理念は、「歯科治療にとどまらず、全身の不具合をお口の中から改善する」こと。肩こり、腰痛、頭痛、手足のしびれなど、他科では原因不明とされる症状に対しても、歯科の専門的な知見からアプローチするという、一歩踏み込んだ統合的な医療を提供されています。
「49歳での開業は遅い」と謙遜されながらも、先生はご自身の信念を実現するため、心斎橋という一等地に70坪という大規模なクリニックを開院されました。その背景には、「かつて勤めていた医院に負けないよう、大きな規模で挑戦しよう」という、プロフェッショナルとしての熱い想いがあります。
インタビューでは、「私は一匹狼」と語る独立した精神論や、「いかに周りの人を幸せにするか」という、スタッフに対する深い愛情が垣間見えます。この記事では、吉次先生の豊富な経験、現場で鍛え抜かれた確かな技術、そして読者の皆様が「良い歯医者」を選ぶための本質的なアドバイスを、お聞きしました。
勤務医として働いた自身の経歴について
長年勤務医として働いていたとお聞きしましたが経緯を教えてください。

私は岐阜歯科大学を卒業後、すぐに淀屋橋の医療法人に勤務いたしました。そこで、実に23年間もの間、ずっと在籍していました。そしてその後、49歳という年齢で心斎橋に開業したんです。歯科医師としては、開業のタイミングはかなり遅いと言えるでしょう。「こんな年になったドクターが何してるんだ」と言われました(笑)。
勤務されていた医療法人は大きいところだとお聞きしました。
かなり大規模な医療法人でしたよ。ただ、給料は決して多くはありませんでしたね。月25万円でスタートし、当時は淀屋橋と八尾の山本という2ヶ所に医院がありました。その後、千里に2ヶ所増設し、合計で4ヶ所になりました。
私は23年間勤務しましたが、辞める直前にやっと月給が100万円を超えたくらいです。その間は、ずっと50万円から60万円程度で業務に励んでいました。

その間勉強をすごくされたのですね。
自分自身の勉強に充てる時間は、正直全然ありませんでした。そのため、新人の歯科医師や歯科衛生士、助手たちには、勉強会という名の合宿形式の指導を頻繁に行っていました。土日、ゴールデンウィーク、お盆休み、お正月休みもほとんどない状況で指導にあたっていましたので、かなりハードな日々だったと思います。
技術(腕)の向上は、現場でしっかりと経験を積んで鍛えるしかありません。学術的な面については、医療法人が大学の教授などを招いて勉強会を開いてくれましたし、100万円コースの矯正の研修を3回も受講させていただきました。
個人的には、エンド(根管治療)やペリオ(歯周病治療)に関する勉強会には、自ら足を運んで参加しました。ただし、私はどの学術会にも、スタディグループにも一切所属せず、一匹狼のように、独自の道を歩んできたんです。
先生の人物像と心斎橋での開業について
今回、大阪・堺筋本町の増田歯科医院、増田先生が二つ返事で「大物の先生」だとご紹介いただいきました。

彼(増田先生)には、学術的な指導は特にしていません。話していたのは、社会人としてどうあるべきか、あるいは医療人としてどうあるべきかという心構えについてだけです。彼は9年間、勤務医としてこの医院で働いてくれました。
彼は面接にふらりと来て、「明日からでもどうぞ」と言って採用したんです。この心斎橋のクリニックを開業した際、状況的には勤務医がいなくても十分経営は成り立っていました。ただ、当時は、若い歯科医師や歯科衛生士、助手さんたちを一生懸命育てたいという強い気持ちがあったので、開業直後で借金があったにもかかわらず、すぐに勤務医を募集しました。その思いに応えてくれたのが増田先生だったというわけです。
人生の師匠として、増田先生の中では、吉次先生がダントツなのですね。
そうかもしれませんね。彼は非常に学術派で、熱心にスタディグループにも入って勉強しています。しかし、彼の学術的な見解と、私の臨床経験に基づいた見解は異なる部分もあるでしょう。「これだけ勉強しているのに、なぜこの先生には勝てないのだろうか」という思いがあるのかもしれませんね。スタディグループに一切入っていない私に、という気持ちがあるのかもしれません(笑)。
私が彼に伝えたのは、とにかく「開業したら歯科医師会に入りなさい」ということと、「先輩の先生方の言われたことは必ず『イエス』と答えなさい」ということ。彼は本当に立派で、その教えをすべて守りました。今では歯科医師会の支部の専務理事を務めていらっしゃいます。
なぜ、49歳という年齢での開業で、この地を選ばれたのですか?
それは、私が23年間在籍した医療法人でのキャリアが背景にあります。平の勤務医から始まり、医局長、副院長、役員、院長、そして分院の理事長まで務めました。その間に多くの部下を持ち、私一人の売上が7,000万円以上にもなっていたんです。これは、一般的な開業医の倍の数字です。
ですから、「開業するなら、やはり大きな規模でやりたい」と考えました。世話になっていたディーラーの知り合いを通じてタカラベルモント(メーカー)を紹介してもらい、「60坪から70坪、ユニット8台ぐらいの規模でやりたい」と要望を出しました。
正直、ディーラーの方々は「正気か。規模が大きすぎる」と思ったかもしれません。当時、全然信用されていませんでしたね。税理士さんや会計士さんにも「先生、自己資金はおありですか」と聞かれ、「ありませんよ」と答えたこともあります。実際は4,000万円ほどの自己資金は持っていましたけどね。
ディーラーからは「この地で成功する根拠は何ですか」と問われました。私は「根拠は、これまでの私の実績だ。やってきたから必ず成功する。その思いだけだ」と伝えて、押し切ったんです。そうして、このビルとご縁があり、開業を決めました。
このビルは、元々「お米ギャラリー心斎橋」という古いビルをリフォームしたものですが、リフォームが完成する頃にはAppleが入居することが決まっていました。70坪という、歯科医院としては非常に大きな規模です。

70坪ともなれば、初めは大変だったのではないですか?
やはり最初は、なかなか患者さんは来ませんでしたよ。最初はチェアを5台で始めました。当時としては先駆けとなる歯科衛生士さんのための個室ユニットを作りました。それにしても広すぎて、「どうしようか」と悩みました。家賃の支払いもありますからね。本当に、「お金が湯水のように流れていく」と感じました。生まれて初めて、お金がなくなることに、ひどく不安を感じましたね。
開院当初、「ピンポーン」とチャイムが鳴るたび、初めての患者さんかと思ったら、胡蝶蘭の配達でした。次から次へと花が送られてきて、正直「もう花はいらない!」という心境でしたよ(笑)。
もちろん、勤務医時代の患者さんたちも、私を探して来てくれました。勤務医を辞めてから、この医院が完成するまでの半年間、無職の期間があったのですが、それでも待っていてくださったんです。
一番良い場所で、開院しようと思ったのはなぜですか?
大きな場所で開業し、元々勤めていた医院に負けないようにしようという思いがあったからです。当初は多くの勤務医を雇おうと思っていましたが、結局は2名しか採用できませんでした。今は息子だけがドクターとして勤務しています。これは、私の考え方が変わってきたことや、ドクターの確保が難しいという現状もあります。
現在は、時短を取り入れ、スタッフにとって非常に働きやすい環境を整えることに注力しています。勤務時間が短く、休みも多い。最終的には、午後6時には全員が帰宅できるようにしたいです。スタッフが、プライベートで買い物などを楽しむ時間を確保できるように。
歯科医院として大切にしていること
来られる患者さんは予防で来られる方が多いですか?

予防でいらっしゃる患者さんも多いのですが、やはり最初は治療から入るケースがほとんどです。そこから治療を経て、予防管理へと移行していただくという流れですね。ですから、リコール率(定期検診の受診率)は8割以上あります。この高いリコール率があるからこそ、医院経営が成り立っていると言えます。患者さんへの接遇(応対)には、特に力を入れて取り組んできましたから。
独自の人生観、他の医院との違いを教えてください。
他との違いは、やはり23年間も勤務医として働いた経験を持つ歯科医師がほとんどいないことです。私の世代の多くは、3年か4年で開業しています。ですから、私には先生方や衛生士スタッフとの人脈が多いというのが、一つの強みだと考えています。
私が勤務していた医療法人で最も役に立ったのは、江川ひろし先生の「話し方教室」に2回通わせていただいたことです。合宿のような非常に厳しいものでしたが、それが人生の中で一番大きな経験です。私は江川ひろし先生を師匠とし、次いで京セラの稲盛和夫さんが大好きです。
その話し方教室というのはどんなものなのですか?
「話し方教室」という名前ですが、実際は「生きざま」、つまり人との接し方を教えてくれるものでした。
例えば、一生懸命商品を売りたいと思っても、商品ばかり売ろうとしても売れないですよ、と。相手の状況を見て「このお花素敵ですね」といった、さまざまな別の会話を通じて、そして人の話をよく聞いて、相手に尽くす。そうすれば、自然と人との繋がりができ、結果として収益も後からついてくる。人に嫌われてはならない。どうしたら人に好かれるかを考えなさい、と教えてくれました。
患者さんの年齢層としては、どのような方が来られますか?
お子さんの患者さんは、ほぼいらっしゃいませんね。ほとんどが高齢者です。もう20年も開業しているので、患者さんが高齢化してきているという背景もあります。新規の患者さんも来られますが、新規の方は年齢層が非常に幅広く、さまざまですね。
高齢化していくと、残念ながらお亡くなりになる方も増えるので、それは辛いことです。
今は、ベトナムの患者さんが多いでしょうか。矯正治療を行っているのですが、ベトナムの患者さんがSNSで情報を発信してくださっているようで、非常に多くなっています。

会話などはどうされてるのですか?
日本語が上手な方もいらっしゃいますが、会話が難しい場合はiPadの翻訳機能を使って対応しています。私自身は多言語に精通しているわけではないので(笑)。
お口の健康手帳というのは何ですか?
「お口の健康手帳」は、口腔内診査と検査の結果を、現在の歯の状態として情報提供するためのものです。詰め物が何を使用しているか、歯茎の溝がどんな状態かといった情報を記載しています。治療が進むと、手帳の内容が更新されていくというものです。
患者さんお一人おひとりの口腔内の状態をご説明し、全てのデータをプリントアウトして、「お口の健康手帳」としてお渡ししています。忘れがちな予約時間も携帯に連絡させていただくので、継続してしっかりと診療を受けていただけます。
かなり丁寧に作成しており、最近では増えてきましたが、当時はなかなかこのような取り組みは少なかった。これは保険診療の患者さんにも全員にお渡ししています。
これを渡される意図はなんですか?
やはり、患者さんご自身にご自身のお口の中の状態を知っていただきたいからです。医師が口頭で説明しても、分かったつもりになりがちですが、データという形で受け取れたら嬉しいでしょう。これは、患者さんへのサービスとして提供しているものです。
医院の展望と目指される医院の理想像
先生が得意とされる診療は何ですか?

私はもうオールマイティーに治療をやってきましたからね。親知らずの抜歯でも何でも行ってきましたし、どんな難しい治療でもどんどん経験しています。難しい症例は大学病院などに紹介するという医院もありますが、私はほとんど自分で対応できます。
インプラントも行っていましたし、何でもやっていました。矯正もやっていましたし、特にコーヌスクローネという難度の高い補綴(ほてつ)治療は非常に得意で、講師ができるほどのレベルです。もちろん、部分矯正やインプラントについても、数多くの症例を手がけてきました。
そうした時代でしたので、実力も腕もかなり鍛えられたと思っています。
先生が今後目指される医院像を教えてください。
率直に申し上げると、医療機関も経営ですから、お金を儲けなければなりません。それと同時に、やはりスタッフをどうしたら幸せにできるかを考えています。ですから、試行錯誤の結果、うちのスタッフは掃除機をかける必要もないし、ゴミを集める必要もないし、ゴミを捨てる必要もないし、トイレも掃除する必要はない。医療業務だけを行えばいい環境です。
そして、医院の収益を上げてスタッフに還元してあげたい。それが私の思想です。いかに周りの人を幸せにするかが大事なのです。人間は人の役に立つために生まれてきていると私は考えています。今回のインタビューも、音源を作成してくれる人がいるから、こうして記事になるわけですよね。
衛生士定着のためになにかやられてきたことはありますか?
やはり収益をしっかりと還元してあげることも大切ですが、お金だけではないとも思っています。ちゃんと有給休暇を与える。労働時間(週40時間)も守る、就業時間も短くしてあげる。そして頭ごなしに𠮟るようなことはしない。
その上で、人間としてどうあるべきか、社会人としてどうあるべきかということを教える。これが最も重要だと考えており、学術的な話よりも、こうした指導に時間を割いています。歯科衛生士学校の3年生にも、「もうすぐ社会に出るのだから」と、一度そういった話をしてあげています。

先生がこんな歯医者には行きたくないという歯医者を教えてください。
不潔な医院ですね。整理整頓ができていれば、その医院の姿勢が分かります。不潔なところは絶対にだめです。あと痛い治療をする医院。患者さんは、医師の技術はわからなくても、痛みがあるかどうかはわかります。
そして、「良い治療」というのは、ドクターによってさまざまな選択肢が提供されるものです。その選択肢の中から選ばれた治療が、患者さんにとって10年、20年経っても、「あの時、この治療をやってよかった」と思えるものでなければなりません。それは、10年20年同じ患者さんを見続けることで初めて、その治療が正しかったかどうかが判断できることなのです。
これをご覧になる方に先生からメッセージをお願いします。
ご自身の健康にはお金をかけるべきだということです。保険診療が悪いとは言いませんが、やはり今はセラミックが良いし、インプラントも良いという、自由診療をきちんと提供している診療所へ行きなさい。保険でできないわけではありません。しかし、治療を何度も「掘り返し掘り返し」行うことになり、結果として歯の状態を悪くしてしまうことがあります。
それならば、最初からお金をかけて。医院を選ばなければなりません。電車に乗ってでも、良い歯医者に行くべきです。「近いから」という理由だけで選ぶべきではありません。
実際に通っている人に聞くのが一番良い。紹介で行くのが一番良い方法だと私は思います。

吉次 良師 院長(タスクデンタルクリニック)
大阪市中央区/心斎橋駅 7番出口 徒歩3分
23年間にわたり大型医療法人で勤務し、医局長・副院長・理事・院長・他法人理事長を歴任。数多くの患者さまの診療と、歯科医師・歯科衛生士・歯科助手の教育に携わってきました。厳しい環境で培った臨床経験と人とのつながりを糧に、心斎橋でタスクデンタルクリニックを開業。主訴だけでなくお口全体の健康や美しさ、さらに全身の健康まで見据えた総合的な歯科医療を提供しています。
施設情報
| 医院名 | タスクデンタルクリニック |
|---|---|
| 所在地 | 〒542-0086 大阪府大阪市中央区西心斎橋1-5-5 アーバンBLD心斎橋4F |
| 連絡先 | 06-6121-7896 |
| 最寄り駅 | 心斎橋駅 7番出口 徒歩3分 |
| 公式サイト | https://www.tasukudental.com/ |














