創業50年を超える歴史を持つ「川越歯科医院」。現在の院長である川越弘就先生は、地域に根付いた歯科医療を提供し続けています。先代院長から引き継いだ予防歯科や抜歯の専門性と技術力、長年培ってきた信頼関係を大切にしながら、患者さん一人ひとりに寄り添った診療を行っています。
今回は、押し付けない医療、患者さんとの信頼関係づくり、そして地域医療における歯科医院の役割について、川越先生にお話を伺いました。歯科医師会での活動も精力的にこなす一方で、日々の診療では患者さんと真摯に向き合う川越先生。その穏やかな語り口から、長年の経験に裏打ちされた確かな信念と、地域医療への深い愛着が感じられました。
歯科医師になるために
先生が歯科医師を目指されたきっかけは何ですか?

私はこの世代では珍しい4代目の歯科医師です。現在57歳の私から見ると、若い世代で家業を継ぐ先生方が少しずつ増えてきているのは、とても興味深い変化だと感じています。家族の伝統を引き継ぐということは、単なる職業選択以上の重みがあるのです。
私の家族の歯科医療への道のりは、明治時代初期にさかのぼります。初代は満州の大連の満鉄病院で働き、同時に大連にて川越歯科を開業していました。当時の大連は、日本の海外拠点として非常に重要な場所で、満鉄病院は単なる医療機関ではなく、東洋一の最先端の病院だったと聞いています。
祖母からよく聞かされた話では、戦争で全てを失った家族が、必死の思いで日本に帰還し、新たな人生を始めたといいます。昭和25年、祖父と曽祖父がこの地で歯科医院を開業したのは、まさに戦後の混乱期でした。当時は医療が未発達で、風邪から肺炎へと急速に悪化し、命を落とす人も少なくない時代。戦後で全てを失ったのちに、神戸の花隈という地域に根を下ろし、新たな人生をスタートさせました。当時の新開地は、「東の浅草、西の新開地」と呼ばれるほど栄えた街。石原裕次郎や美空ひばりといった当時の大スターたちが頻繁に訪れるような、文化の中心地だったのです。
街の様子はその後、劇的に変化しました。交通網の急速な変化、市電の廃止など、さまざまな社会的要因が街の景観と人々の生活を大きく変えていきました。結果的に、神戸の中心は新開地から三宮へと移行していったのです。この変化は、たんなる地理的な移動ではなく、戦後の日本の急速な変容を象徴するものでもありました。
交通網の変化は特に興味深いものでした。神戸高速達道の開通により、人々の移動パターンが一変。かつては新開地で乗り換えていた人々が、次第に新開地を利用しなくなり、地上の街の賑わいは徐々に失われていったのです。
生まれたときから歯医者になることが決まっていたということですね
そうですね。私は生まれた瞬間から跡継ぎとして家族から期待されていました。小さいころから他の職業を真剣に考えたことはほとんどありません。ただ一度だけ、子供らしく電車の運転手になりたいと夢見たことを覚えています。しかし、それも一時的な子供の空想に過ぎませんでした。
もともと父は大阪大学出身だったので、私も阪大に進学させたかったようです。しかし、浪人生活を経て、最終的には祖父の強い勧めもあり、東京歯科大学に進学しました。当時の私は、勉強一筋の生活を送っており、正直なところ、世の中とあまり交流できない、やや変わった子供時代を過ごしていたと自覚しています。
幼いころから歯科医院で育ったため、あの特有の歯科の匂いや雰囲気には、ごく自然に馴染んでいました。一階の古い診療所で過ごした日々は、今では懐かしい思い出です。家業を継ぐことは、私にとって選択肢というよりも、むしろ自然な流れでした。
芝池 高之
青春時代に阪大に行かなきゃっていうプレッシャーがあったということですね。
そうですね。私の青春は、常に期待と挫折の連続でした。小学校受験から始まり、灘中学校を目指して猛烈に勉強した日々。その結果、私は当時の人気アイドルや流行を全く知らなかったのです。ピンク・レディーやキャンディーズ、山口百恵の全盛期を、テレビすら見ずに過ごしていました。友人の山口百恵命と書かれた鞄を見ても、さっぱり意味が分からなかったくらいですから。
中学は公立中学校に通い、高校受験では度重なる失敗を経験しました。私立高校に合格できず、いわゆる「滑り止め」の公立高校に進学することになりました。当時の私は、阪大への道が遠のいていくことに深い挫折感を味わっていました。プレッシャーを勝手に感じ、中学受験から続く「期待に応えられない」という重圧は、私を暗い気持ちにさせていました。
東京に行ってからようやく、この重圧から少しずつ解放されていったのです。今こうして明るく話せるのも、あの東京での経験があったからこそです。
東京歯科大は歯科業界の中では名門ですが、国家試験合格No.1のすごい大学ですよね。
東京歯科大学の強みは、明確な戦略を持った学長のリーダーシップにあります。国家試験で常に全国トップの座を獲得するために、大学全体で緻密な戦略を立てていました。カリキュラムから医局員の配置まで、国家試験合格を最優先に組み立てられたシステムは、驚くほど洗練されていました。
合格率の高さは、優秀な学生を集める好循環を生み出しています。100人近い受験者のほとんどが合格するというのは、並大抵のことではありません。自習室では夜を徹して学生をサポートし、疑問にすぐに答えられる体制を整えていました。まさに「合格のための教育」を徹底していたのですね。
最近では、慶応義塾大学と合併なんて話もありますが「慶應と合併して、慶應ボーイになるかも」なんて冗談を言っています。
歯科医師を目指した青春時代の考え方
東京に住まわれてから、どんな学生生活を過ごされたのですか?

実際は千葉県の稲毛区にある校舎で、6年間の学生生活を送りました。それまで親に管理されていた私にとって、一人暮らしは人生の大きな転換点でした。自分で一日のスケジュールを管理し、徐々に自由と責任を学んでいきました。
高校までは人間関係も希薄で、勉強漬けの日々でしたが、大学では少し余裕ができ、人との交流も広がりました。バブル期前夜の東京は、まさに若者の夢と可能性に満ちた街で神戸とは全く異なる世界に飛び込んだ私は、ディスコで踊り、お酒を飲み、アルバイトもしながら、初めて本当の意味での青春を楽しんでいましたね。
その後神戸大学の口腔外科に行かれた理由は?
父の勧めもあり、口腔外科を選んだ理由は、歯科診療における全身管理の重要性を理解していたからです。歯科は口腔内だけを見ていては不十分で、患者の全身状態を総合的に把握することが極めて大切だと考えていました。
例えば、抜歯一つとっても、患者の全身状態を考慮しなければ適切な判断はできません。単に歯を抜くだけでなく、患者の健康状態や治療後のリスクを総合的に評価する必要があるのです。将来的に補綴治療や他の歯科処置を行う前提として、まずは全身管理を学ぶことが重要だと考えました。
加えて、関西、特に神戸へ帰りたいということも大きな動機でした。関東の生活に違和感を覚え、関西弁の気楽な雰囲気、山と海に囲まれた神戸の魅力に惹かれていたのです。神戸という街への愛着が、神戸大学口腔外科学講座入局への後押しとなったのです。
ではその後に、ご実家の歯科医院に戻られたのですか?
1997年、祖父の高齢化により、家業に戻ることになりました。本来なら学位取得後に「お礼奉公」するべきでしたが、ちょうど大学の教授が交代するタイミングで、特別な配慮を得て円滑に戻ることができました。
91年に卒業し、97年に戻るまでの6年間、当時としては比較的早い段階でのいわば開業でした。最初は勤務医として祖父とともに診療を行い、一般的な治療は私が担当するという形でした。
大学院では何を専門にされたのですか?
大学院では、口腔癌の研究に取り組みました。患者から採取した口腔癌細胞をヌードマウスに移植し、頚部転移モデルを構築する先駆的な研究を行っていました。
当時の指導教官の研究の初期段階から関わり、動物モデルの作成を通じて、後々は薬剤の効果を検証するための基礎的な研究を行っていました。現在の診療とは直接関係はありませんが、学術的な観点から非常に興味深い研究でしたね。
川越歯科医院の特徴と先生の得意分野
先生の得意分野は何ですか?

特定の得意分野は明確にはありませんが、あえて言うなら抜歯の技術には自信があります。学部や大学院時代、後輩たちから抜歯の指導を求められることが多く、口腔外科処置には一定の経験と自信を持っています。
当時と比べて現在は若手歯科医師の技術鍛錬の臨床現場が大変厳しくなっているため、以前の私たちの世代は貴重な経験を積むことができました。結果、全身管理の観点から、抜歯を含む口腔外科処置について、総合的な理解を深めることができたと自負していますね。
芝池 高之
西元町で一番上手に歯を抜いてもらえる歯医者さんかもしれないですね。
そうでしょうかね、ありがとうございます。(笑)親知らずの抜歯は本当に難しいんです。患者さんの体質によって麻酔の効き具合が全然違うんですよ。中には麻酔がなかなか効かない方もいて、そういう時は私たちも正直ストレスを感じます。
「痛い!」と言われ麻酔が奏功しないときは、その日の治療をすぐにストップします。体調や体質によって麻酔の効き方は変わるので、日を改めて再度挑戦することもあります。麻酔が効きにくい方は本当に難しいんですよね。
伝達麻酔では対応できないのでしょうか?
伝達麻酔をしても効果がない患者さんもいます。この技術は口腔外科を経験していないとなかなかできないと思います。一般的な歯科医院では、正直なところ伝達麻酔は怖くてできないことが多いですね。私たちのような専門的な医院じゃないと、難しい麻酔処置だと考えます。
現在の患者層について教えてください。
今の患者さんは、祖父、父の代からの患者さんが多くて、正直高齢の方が中心です。地域的には若い世代もいますが、彼らは新しく開業した開放的な歯医者さんに流れているんですよ。例えば近くの商店街にできた明るい雰囲気の歯医者さんは、若い人たちに人気があります。口コミの力は本当に大きいですね。
先生の診療における信念は何でしょうか?
私の診療における最も大切な信念は、患者さんに何かを押し付けないということです。医療は押し付けるものではなく、患者さんと一緒に考え、選んでいくものだと考えています。
自費治療を無理に勧めるのではなく、治療の方針を丁寧に、そして分かりやすく説明し、必ず複数の選択肢を提示するようにしています。患者さんひとりひとりの状況、希望、経済的な事情を十分に理解した上で、最適な治療法を一緒に見つけていくことを大切にしていますね。
例えばインプラント治療に関しては、私は早くから専門家と連携するシステムを構築してきました。私の友人が、インプラントに対する経験と素晴らしい技術があったことも背景にあります。実は一度、その友人からインプラントを学ぼうと思いましたが、その友人の外科処置、縫合等の美しさ、速さ、的確さという技術力を見て唖然としましたね。なので、単に自分の技術だけに頼るのではなく、その分野で最も経験豊富で技術の高い専門家と協力することで、患者さんにとって最高の治療を提供できると思ったんです。
一人の歯科医師が全ての分野で最高の治療を提供するのは難しいです。だからこそ、得意分野の異なる仲間と協力し、お互いの長所を活かしながら、患者さんにとって最良の医療を実現することを常に心がけています。
治療は技術だけでなく、患者さんとの信頼関係の上に成り立つものです。押し付けるのではなく、寄り添い、共に考え、納得いくまで丁寧に説明する。それが私の診療における最も大切な信念なんです。
今後の医院運営についての展望を教えてください。
正直、大きな目標があるわけではありません。今いる患者さんを大切にし、現状を維持することが一番の目標です。歯科医師会での仕事も忙しくなったので、新しい機器を入れたり、最先端の技術の習得に割く時間がなかなかできないのですよ。
歯科医師には二通りのタイプがあると思います。学術に熱中する先生と、公的な活動に力を入れる先生です。私は今、歯科医師会での役割に多くの時間を割いています。臨床一筋というよりは、違う形で歯科医療に貢献しているという感じでしょうか。
これからも、今の患者さん、スタッフを大切にし、地域に信頼される医院であり続けたいと思っています。
歯科医師からみた良い歯医者とは
歯医者さんを選ぶ際に避けるべき歯科医院の事例はありますか?

正直、具体的に「この歯医者には行くな」とは言えませんが、気をつけるべき事例はあります。例えば、患者さん、特に高齢の方を狙って悪質な商売をしている医院があるんです。
典型的な例が、3ヶ月ごとに「歯が取れた」と言って詰め物をする治療です。実際はほとんど何もしていないのに、診療報酬だけを稼いでいるケースがあるんです。患者さんが状況を理解できていないことを逆手に取っているんでしょうね。
自費治療に関しては、むやみに勧めるのは良くありませんが、質の高い治療を提案することは大切です。良い材料を使えば、見た目も、予後も良くなります。大事なのは、患者さんの立場に立って丁寧に説明することです。
芝池 高之
関西と関東で自費治療の割合に違いがあると聞きますが、その理由は?
関西の歯科医院は、「金儲け」と思われることを嫌う傾向があると思います。自費治療を勧めること自体に抵抗がある先生も多いです。一方、関東出身や関東で経験を積んだ先生は、比較的スムーズに自費治療を提案します。
これは地域の文化や気質の違いだと思います。決して悪いことではなく、患者さんにとって最適な治療を提案することが大切なんです。
診察時に、困る患者さんはいらっしゃいますか?
確かに、歯科医院を運営する上で、時に対応が難しい患者さんもいらっしゃいます。特に目立つのは、非常に細かいこだわりや極端な要求を持つ方々です。
例えば、芸能人のように自宅に上がる際、靴下を脱いで新しいスリッパに履き替えて、というこだわりのような、治療の極めて微妙な部分にまで細かい指示を出したりする患者さんがいます。かぶせ物の境目の具合や、治療の些細な部分にまで厳しい目を向ける方もいらっしゃるんです。
こういった細かい要求に対して、正直なところ応えきれないこともあります。保険治療には出来る範囲に限界があるため、全ての要望に100%応えることは難しいのが現実です。ただし、私たちは常に最善を尽くし、患者さんの期待に応えられるよう努力しています。
幸い、私の医院は本当に理解のある、素晴らしい患者さんに恵まれています。極端な要求や非現実的な期待を持つ方は非常に少なく、むしろ私たちの治療方針を理解し、協力的な方々が多いんです。
良い患者さんが集まる理由は?
その理由は、私の父の歯科医療に対する考え方が影響しているのだと思います。父は当時としては画期的な歯周病治療に取り組んでいました。削って被せて終わりという当時の一般的な歯科治療とは全く異なり、継続的なメンテナンスの重要性を早くから説いていたんです。
定期的なチェックとメンテナンスのシステムを導入した当時では数少ない一人だったと思います。単に歯を治療するだけでなく、患者さんの口腔内の長期的な健康を考える医療を提供してきたんです。今の歯科治療の流れを、最初に作ったと言っても過言ではないでしょう。
その伝統を私も引き継ぎ、現在通院いただいている患者さんの多くは、何年も、時には数十年にわたって継続的なチェックとメンテナンスを受けている方々です。単発の治療で終わらせるのではなく、患者さんの口腔内の健康を生涯にわたってサポートする。そういった医療姿勢が、良い患者さんを引き付ける理由なのかもしれません。
患者さんとの信頼関係、継続的なケア、そして何よりも患者さん一人ひとりを大切にする姿勢。これらが、私たちの医院に多くの方々が通い続けてくれるのだと感じています。
良い歯医者を探している人へのメッセージをお願いします
良い歯医者さんを探す一番のポイントは、間違いなく「口コミ」です。インターネット上のホームページは情報がある医院とない医院の差が大きすぎていて、実際の診療の雰囲気や先生の人となりを理解するのは難しいでしょう。
歯科医院を選ぶ際に、資格や壁に掲げられた賞状だけで判断してはいけません。確かにそれらは先生の経歴や実績を示すものかもしれませんが、あなたに本当に合った歯医者さんかどうかを決める決定的な要因にはならないんです。
最も大切なのは、実際にその歯医者さんを訪れて、直接雰囲気を感じ、先生や院内の雰囲気を体感することです。初診で違和感を感じたら、躊躇せずに別の歯医者さんを探すことをお勧めします。歯科治療は単発で終わるものではなく、長期にわたって続く関係になります。だからこそ、信頼できる、あなたに合った歯医者さんを見つけることが何より重要なんです。
一度訪れてみて、どうしても合わないと感じたら、早めに別の歯医者さんを探すことをためらわないでください。あなたの健康と安心、そして快適さを何よりも大切にするかかりつけの歯医者さんを見つけてほしいと心から願っています。
川越 弘就 院長(川越歯科医院)
神戸市中央区/西元町駅から徒歩3分
四代にわたり地域医療に貢献してきた歴史を持ち、口腔外科での経験を活かした専門的な治療を提供。歯科医師会での活動を通じて地域の歯科医療の発展に尽力する一方、患者さん一人ひとりに寄り添った丁寧な診療を心がけている。特に予防歯科に力を入れ、長期的な視点での口腔健康管理を重視している。
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